カツの気持ち


2004年1月8日

昨日は、新年のご挨拶と日頃の感謝の気持ちを、と少々、かたい文面になってしまいましたが、私は何も、毎日レポートを提出しようとしている訳ではありません。
ただ、あるがままの私達の現実をお伝えしたいだけなのです。
という訳で、今日から突然日記風になります。
書き進めて行くうちに、きっと皆様方の個人名なども出てくる事になりますが、決して悪意からの言葉ではありませんので、どうか笑って許してやってください。

*金曜日、11時から、VF決定。主人はかなり緊張している。
前回失敗した(と本人は思っている)のはふたつの理由から。
(1)前にいたH病院で、ずっと水分にムセるから、ムセると危ないから、鼻からの栄養にしましょう、といわれていたせいで、「ムセてはいけない」と考えて、VFのときもムセるのを我慢した。
(2)食べさせてくれるのが、私じゃないから。
Y先生は、子供にご飯を食べさせたりした事あるのかなあ。ふつうはお母さんの仕事だからなあ。無いかもなあ。サリーがやったらきっとうまくいくのになあ。

(注/VFとは造影剤を混ぜた食物を飲み込み、その様子をX線を使って観察する検査の事。)

*それから電動車イスの話。
何もかも、人にたのまないとできない自分が情けなくてうんざりする。
自分が生きている事が、いけない事の様に思える。
でもまあ、サリーがやってくれる分には、仕方ないかな、とも思う。(サリーには悪いけど)だからできるだけ何もかも頼むのはサリーが良い。それにしても自分の身体をはたして非力なサリーがどこまで支えられるのか、とても心配。

せめて車イスが電動なら、サリーの負担が減るのになあ。
ちょっとした方向転換、ちょっとしたスロープ。
売店で買った弁当やティッシュの箱を片手に持ったサリーが車椅子を押して歩くのはかわいそうだし、心配。
自分の手にもう少し力がついて、自分で車イスを動かせる様になるまで、自分の足にもう少し力がついて、自分で歩けるようになるまで、自分の身体を自分の意志で移動させられる方法として電動車イスが使えないものだろうか。

皆にダメだ、危険だ、と言われる意味が今ひとつピンと来ない。
せめて練習だけでもさせてもらえないものだろうか。

*今日、うれしかった事。
PTの先生が、2回もほめてくれた。以前先生から、「歩きたい?まだまだダメだよ。無理無理」と言われたから、きびしい評価の人だと思っているため。
後でかならず「ねえ、聞いた?おしりがちゃんと上がっているって言われたよ。」などと喜んで話しています。でも、あまりほめすぎないで下さいね。
図にのりますから。

*反対に、今日嫌だった事。
STの先生に「舌の力が足りない」といわれた事。
「それまでずっと良いですね、良くなってますねって言ってたのに最後に力が足りないと言われてがっかりだよ!」

先生が言ったのは、そういう意味じゃなくてね、と私が説明しようとしても「でもね、それは例えば〜だから!」などという大論争に発展し、最後は大ゲンカになってしまいました。

結局は、自分の現実に冷静に直視できないだけだと私は思っているのですが、どこまで回復できるんだろう、と毎日毎日不安にすごしている本人にとっては、皆様の一言一言が大きく響いたりする様です。

以前、ある看護婦さんにも「男心は微妙なんですね」と言われましたが、まさにその通り。
もともと見栄っ張りですからむつかしいです。

今は〜だけど、あなたが望んでいる〜になるためには、この〜は、こういう風に必要なんですよ。
〜したいなら、今やっている〜は、〜だから大切なんですよ。

など、具体的な説明があれば、本人も納得しやすいかと思っています。

*トピックス

今日、PTの先生におしり上げをほめられたのは、最近、毎晩、看護婦さんたちに「おしり上げして」って言われてるせいだそうです。
「あれは有効だー」って。それに「良く上がりますね」とほめられるのも気分が良いようです。



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